無用の用ってありますやん

「文系の研究って役に立つの?」という話はよく持ち上がります。日本国内でもIT関連業に従事する労働者が400万人以上いる現代では、理系偏重というのもそう珍しいことではなくなってきましたし、懐疑的になるのも無理はないと思います。
ただ、僕自身はこの問いに関しては何とも言えません。強いて言うならば「100%無意味ではないが、為すこと全て利益に繋がるわけではない」といったところでしょうか。要は中途半端ってこった。

僕は大学での選考は歴史でしたが、歴史研究が"直接"何かの役に立つと思ったことはありません。歴史研究によって国家間・民族間で生じる軋轢の原因を知る、あるいは教えることができても、それを解決・予防するのは歴史家ではなく政治家の仕事だと考えているからです。当然政治家には必要以上に知識を得なければならない義務は無いので、学ぼうとしなければそれまでです。
そういった意味で間接的な貢献ならば出来るのでしょうが、結局は政治家や経営者など世界を動かす立場にある人間がどう動くかに依存せざるを得ません。従って、歴史という学問は役に立っている/いないという問いにおいて、どちらともいえます。僕の主観ですが。

ただ、直接的に役立つかどうか微妙なのに重宝がられている学問も...あるのではないでしょうか。断じて何かを謗るために記事を書いているわけではないのでここでは言及しませんが。
なら何故"評価"されているのか。それは過去に価値があると評価され、そして今でも多くの人間が興味を持っているからだと僕は考えています。例えば数学研究。利用の可否がよくわからんレベルで滅茶苦茶難しい域に到達してしまった学問(主観)ですが、『フェルマーの最終定理』を巡った作品は多くの人を惹きつけています。
一方で、この定理をしっかりと理解している人間はそう多くないでしょう。それでも純粋知として数学を修めている人間が一定数居たり、凄い人間が凄い方法で利用していたり、そもそも数学は生活に欠かせない要素として数多く利用されていたり...。終わりがない知の探求として、また或いはとうに生活へ溶け込んだものとして。人々の学問への関わり方というのはそういう感じです(?)

とにかく、観衆が多く居るというのはそれだけで学問を存続させる理由たり得るのです。作品の評価云々より、売れるかどうかが優先されるのと同じですね。処分されるのが運命付けられた握手券付きのCDみたいなもんです
まあそういうことで、僕はこう思っているというだけの記事でした。役に立つ=利潤の源泉足り得るか、とか考えている場合は多分大きく見方が変わるんだろうなあと思いますけども。僕も金は欲しいですが、学問のフィールドで金権の話ばかりして欲しくはないですかねえ...。
おわり