クソリプにも限度がある

このブログでは何度か「クソリプ」を話題にしています。そしてその度に「これで治るような人ばかりなら苦労しないのに」という趣旨の結び方をしています。今回はそれについて書いたのですが、ちょっと長くなってしまいました。筆に任せた結果、私見なのか私怨なのか、はたまた自戒なのかわからない内容になってしまったので...。



話題のコンビニスイーツを買ってきたよ」「コンビニが近くにない人に失礼です!謝ってください!
あなたの目の前にはこういう光景が広がっていると思ってください。この例えも自己矛盾なんだよなあ
このやり取りから反面教師にできるのは以下の3点です。
①自分を棚に上げて現実/他者の存在を考えない発言をしない
確かに差別的な内容を含む発言など、忌避すべきことは有ります。僕もクソみたいな発言が多いので、気をつけねばならない身なのは確かです。
ですが、忌避すべき範囲にも限界があります。コンビニエンスストアが近くにない地域は限られています。そこに住んでいる中でも、コンビニが近くにないことを気にかけている方はもっと少ないと思います。これを慮るなら、殆どの発言は「失礼」で「謝るべき」発言になってしまいます。
極端な拡大解釈をしてしまえば「貧困層SNSの利用をしないのでSNSは即刻サービスを停止すべき」ということになってしまいます。また、この発言をSNS上で行うことは自己矛盾に陥っていますのでその点でも良くないです。義憤にかられるのは良いですが、自分の発言がブーメランにならないようにすべきでしょう。僕が投げてきたブーメランの数は考えたくないです
②「!」「❗️」の使いすぎは良くない
一般的に感嘆符(「!」)には語気を強める効果があり、大声で発音されるべき強調文(会話で言えば驚嘆や歓喜、激昂など激しい感情)の表現に使います。最近では「わかった!」「いいよ!」「ありがとう!」など平時の文末にもよく付けられます。SNSを始めとする文字コミュニケーションの普及で見る機会は増えたと言っていいでしょう。
...が、句読点の代わりに感嘆符を置くのは流石に過剰表現と言わざるを得ません。前衛的な詩歌や力強いミュージカル、小説のキャラ付けでもなければ、全ての文末が「!」になることはまずあり得ないことでしょう。もし仮に文意を強調する目的で全ての文に「!」が付いてしまったならば、それは参考書全ての行にマーカーを引くのと何ら変わらない愚行です。
私見ですが、これは政治的クソリプに多いパターンです。彼/彼女にとって強調したい文章があるのは確かなのですが、全ての文に強調すべき言葉が含まれて居るとは思えません。ましてや(当人の身になっても)声を大にして言いたくなるような内容でも有りません。ですので、文章としてはしっちゃかめっちゃか、現実世界での発声に置き換えれば度を過ぎた大音声ということになります。こんなん会話する気ないのと同じですよね。
③リプライは相手が望んでいるかを考えてから
よく見かけるのがソシャゲのガチャ関連。アイテムを所謂「天井」で入手した人に「私は一回で引けました!」とかリプライするやつです。当事者からすれば嬉しかったので報告したかっただけなのでしょうが、アレ他人にやられたら相当腹立つと思うんですよね。
それ以外にも、そもそもただの報告だったりするリプライも見かけます。これは論外です。会話する気ないですからね。手前が気持ち良くなることが目的の100%を占めています。リプライというのは現実世界でいうところの「対話」ですから、馴れ合いが目的でないならば最低限度会話になりそうなものを用意してからするようにしましょう。相手が望んでいなくても別に構いませんが、自分のためだけにリプライするのは褒められたことじゃないと思います。

総括
長くなってしまいましたが、顔が見えるコミュニケーション」を大切にしよう、という話でした。こう書くと凄え偉そうだな
現実世界でコミュニケーションが取れなければ、インターネットでコミュニケーションを取るのも難しいと僕は思います。それどころか、「軽率に他人を傷つけられる」「情報が簡単に伝播する」という点では、ネット上の方が人付き合いは難しいかもしれません。
また、一方的に気持ちよく話すだけなら誰にでもできてしまうので、それでコミュニケーションができているように錯覚してしまう人もいます。このブログもだいたいそんなコンセプトから書いています。申し訳ありません。読んでいただいてありがとうございます、ほんとに...。

これが届くべき人に伝わること、また僕への自戒になっていることを願って、この文章の結びとさせていただきます。
おわり