益体のない話

タイトル通りである。それを言ったら、このブログ自体チリ紙1枚分ほどの価値もないのだが。

一応自分も年頃の男である。偶にSNSの類を見れば、いかにも「幸せ」そうな自撮りの類が山のように出てくる。今日から◯◯へ旅行だとか、△△というグループのライブに行くだとか。そういう「幸せ」そうな情報を、自撮りよろしく出来るだけ華美に装飾した文章で綴っているような。

ただ自分はそこに羨ましいとか妬ましいとか、そういった感情が一切持てない。かといって旅行に興味がないわけでも、ライブに興味がないわけでもない。受験か何かのせいで伊藤賢治さんのコンサートに行けず悔しい思いをしたこともある。ジャンルや方針こそ違えども、その辺りの興味はある。

それでもやはり、一般的に「幸せ」そうな行為はどうでもいいとしか思えない。旅行に行くことやライブに行くこと、そういった「幸せそうな体験の共有」が彼らの目的なのではないか。射幸心を満たしたいだけなのではないか。そう邪推してしまうくらいには、考え方が噛み合わない。
色恋沙汰に口を出すなら、酢昆布でもしゃぶっていた方が乾いた口が潤うくらいに感じる。もっと言うなら、酒も煙草も女も車も、若者が寄り付きそうな脂っこい食事もどうでもいいとしか思えない。
要するに、めんどくさいのである。そして自分には、めんどくささの壁を越えてまで全く興味のない「幸せ」を得ようとする気概はない。
いったい皆のいう「幸せ」とは何なのだろうか。無暗に歳を食って、ひとりになればわかることなのだろうか。

まあやっぱり将来は山奥で箱庭作りにでも精を出すのが一番だと思う。たのしそう。
おわり