自己肯定感の克服について

以前このような記事を書いた。

「達成感」ってむずくね? - 飛んで火に入る夏の虫 https://hoteil.hateblo.jp/entry/2018/04/27/233502

これを改めて見直すと、自分は自己肯定感が低すぎるのではないかと感じた。それと同時に自分が見えていないとも、努力をしていないとも。
そこで、(達成度でも期間ごとでも構わないので)細かい目標を設定して生活することにした。ここで重要なのは以下の2つをできるだけ満たすこと。
①少し頑張れば達成できそう
②周りに左右されず独力で達成できる

以下、その理由について説明する。

「①少し頑張れば達成できそう」について

・自己肯定感を高めるためには、目標が簡単過ぎても難し過ぎてもいけないと考えた。前者は達成感が得られないため自らへの信用に繋がらず、後者は達成不可能になった際に自己肯定感が更に低下してしまう。
・当然ながら安定した難易度設定は難しいので、段階ごとに何個かの目標を並行して設定する。マルチタスクの処理能力向上にも繋がるし、完全な食いっぱぐれが発生しづらいのでモチベーションに繋がる。
・自分の能力を客観視する機会になる。自分の能力が信じられないというのは自分の得手不得手が見えていない+周りと比較して絶対評価してしまうことから生じる。それよりは自分の中で相対的に評価できる方が劣等感に苛まれることなくポジティブに動けるはず。
・上に引用した記事の通り、自分は達成感を覚えたことが殆どない。その理由が「身の丈に合った目標設定に失敗していた」「単純に努力不足」のどちらであっても、上記の過程を経ることで効果が見込めると考えた。

「②周りに左右されず独力で達成できる」について

自分の能力で達成できたという実感を得るため。「他力本願で達成できたなら自分は要らないのでは?」という疑心が発生すると厄介。それは謙虚ではなくただの卑屈である。ただ、他人の助力が無ければやっていけないのが人間なのでそこは妥協してね。協力と他力本願は全然違う、これが一番重要である。
失敗を他人のせいにするのが一番良くないから。環境に文句を言う奴に向上心はない、弘法筆を選ばず。文句を言っていい場合もあるだろうが、だからといって癖にしてはいけない。弘法大師も筆を選んだ方がいい字が書けたのだろうが、諺を気にしてはいけない。

こう書くのは簡単だが、実際にやってみるのは(たぶん)難しい。そもそも自分がこういう人間だからわざわざ書き起こしてみるのであって、普通の人なら言われずともやっている行為だろう。
目標については別途記事を作り、そこに書き込んでいくつもりである。
真面目そうなことを書くとクッソ疲れるのでもう書かないと思う
おわり